22nd
kml:
A SAFE COUNTRY (via Kentaro Suda)
凄いのが夜、上野から茨城に向かう下り電車だ。早めにホームに並んでいた行商さん達は先頭車両に乗り込むやいなや、背負い籠をイスに乗せ、床に新聞紙を敷き詰め、座席8人分単位で通路部分に車座になり真ん中に一升瓶を出してくる。この間5分足らず。つまみは行商で売れ残った品々である。念のために書くけど常磐線中距離通勤電車というのもけっこう混み合う電車で、他の車両ではサラリーマンOL達がすし詰めになってたりするのだ。なのに通路に車座。ときどき酒の入ったサラリーマンが「おまえらやってることおかしいぞ」とクレームをつけることがあったが、相手が高齢者とはいえ多勢に無勢で簡単に追い返されていた。今思えば国鉄側と行商側でなにか取り決めがされていたのだろう。とにかく夜の常磐線は宴会列車として界隈では恐れられていたのだ。
だが無限に続くかと思われた宴の日々にも終わりがやってきた。1985年のつくば科学万博がその終焉の原因だ。サラリーマンのクレームより行商のロビイングの力が勝っていたわけだが、どこからか「外国のお客様にこの有り様を見られたら恥ずかしい」という声があがると、簡単に車内の車座での宴会は禁止ということになった。いつの時代にも、日本の習慣を変えるのは「外圧」であるというお話。
(via overdramatics)